キム・ヨナの演技を考える Vol.2
「キム・ヨナの演技を考える Vol.1」の続きです。
んー、ますます今更感が強いですが、まあいいでしょう。笑
そういえば、キム・ヨナ選手が引退のアイスショーであの「誰も寝てはならぬ」をやるそうで、それは別にどうでもいいんですが、面白いのがそれに反応して、日本の浅田ファンが一斉に揶揄ってるようで。笑
キム・ヨナ貶なんか、フィギュアなんぞキムチ落としのネタでしかない2chレベルの低俗な話なんですが、それに乗っかっている一部の浅田ファンが哀れなだけで。
で、前回はジャンプと演技構成点や振り、表現について触れましたが、そんな風に項目立てして大丈夫かいな、って思ってですね、当然他のエレメンツなんか詳しくないので、とりあえず、よくキム・ヨナ貶に使われるスパイラルを見てみようと思います。
とはいっても、現在はコレオシークエンスに組み込まれる形になっているようですので、コレオシークエンスそのものを見たいと思います。
【 コレオシークエンスChSq1】
コレオシークエンスとは、2012年シーズンから始まった要素(エレメンツ)です。ステップシークエンスとは違い、レベルの判定は無く全て同じ基礎点2.00が与えられる要素(エレメンツ)です。
ステップ、ターン、スパイラル、アラベスク、スプレッド・イーグル、イナ・バウアー、ハイドロブレーディング、(リストに無い)繋ぎのジャンプ、スピン動作といったあらゆる種類の動きから構成される、と言うことで何でもありで、プログラムの見せ場的な存在なのでしょうかね…
ただ女子フリーでは必ずスパイラルを入れなければならないですが、以前のような時間指定はないようです。
評価基準は次のとおり。
1) 流れがよく,エネルギーが十分で焦点の定まった演技
2) シークェンス中のスピード、またはスピードの加速が十分
3) 明確かつ正確
4) よくコントロールされ全身が使われている
5) 独創性と創造性
6) すみからすみまで無駄な力が入っていない
7) プログラムの個性や概念を反映している
8) 要素が音楽構造を高めている
こういう基準があるにもかかわらず、キム・ヨナ貶のサイトなんかでは、下のような画像で、コレオシークエンスの要素の一部であるスパイラルのしかも一瞬の画像を取り出してその姿勢を比較して、「ほら、姿勢が一番悪いでしょ。浅田選手のほうは柔軟性があってキムヨナと同列で語るなんて浅田真央に失礼」といった感じでキム・ヨナ貶めています。
そもそも、コレオシークエンスを語るのに、スパイラルのみ取り出して比較すること自体詐欺まがいなんですが、スパイラルの評価基準も下のようになっていて、勿論柔軟性だけではないわけで、むしろ実際の評価は、スピードや流れ、エッジの安定感だったりするようです。
(1)[姿勢の評価] 体の線が良い、柔軟性が優れている
(2) [速度の評価] スピードがある
(3)[技術表現両面] 流れが良く、エネルギーが感じられ、表現の焦点が定まっている
(4)[表現面の評価] プログラムの特徴を際立たせている
(5)[表現面の評価] 独創的で表現力がある
こういった諸々を踏まえて、Sochi でのアデリーナ・ソトニコワ、キム・ヨナ、浅田真央の三選手のコレオシークエンスを見てみましょう。フリーでの演技からコレオと思われる部分の抜粋です。
三選手ともGOE1.50貰った演技です。
【アデリーナ・ソトニコワ】
【キム・ヨナ】
【浅田真央】
ですから、コレオシークエンスはそういう意味では音楽で言えば、カデンツァにあたる部分かもしれませんね。
そう考えた時、見せ場としては、ソトニコワ選手のスパイラルをじっくり見せたのは良かったように感じました。
また、プログラムの集大成的意味合いでは、キム・ヨナ選手のも良かったです。音楽自体がこの部分カデンツァだったので余計そう感じたのもあるでしょうが、その流れで2Aに入って行くあたりはジャンプが安定している彼女だから出来ることでしょう。
浅田真央選手はコレオ、しかもスパイラルで終わると言う構成が面白く独創的で、フィナーレに独特な切迫感とでもいうのでしょうか、そんな新鮮な感じを与えていましたし、最後の最後に、スパイラルを持ってこられるのはスパイラルが安定している彼女ならではでしょうね。ただ、彼女のスパイラルは上半身が下に下がってしまっていて、それほど評価されていないとも聞きます。
柔軟性だけでは駄目なんですね。
どちらにしても、これもコレオ前後との兼ね合いでの評価もあるでしょうから、全体を見て、と言うことでしょうか。
今までしっかり見てこなかったキム・ヨナ選手の演技ですが、ここのところ集中して見てきた中で、個人的に一番良いかな、と思った演技は、2013の世界選手権の演技でフリーもいいですが、特にショートプログラムが良いですね。
2013フィギュア世界選手権キム・ヨナ選手SP「The kiss of the vampire」
体に切れもあり、何より、気持ちが入ってます。演技に謙虚さと言いますか、振り一つひとつにいつもより気持ちが入っていて深いですし。それを確認しながら演技しているように感じました。
勿論闇雲に気持ちを入れればよいと言うものでもなく、しっかりプログラム曲の内容に合わせた表現をしているのはいうまでもありません。ポージングも妥当です。
いつもの良くも悪くも小慣れた感じがない。
ただ、この時の彼女の得点が異状に高いということで、批判もされているようです。
前回触れたキム・ヨナ貶のサイトとは違う形で、彼女へのジャッジの不自然さを分析されているサイトがあります。「読書メモ/情報整理・考察メモ 」と言うサイトなんですが、2013年の世界選手権のキムヨナのフリーの得点について批判されています。
項目は4つ。
(1) フリーのGOEの不自然さ
(2) フリーのPCSの異常な上がり方
(3) PCSで10点満点の暴挙
で、最後に、「ルールの運用に問題がなかったか」
です。
細かくはサイトをご覧になっていただきたいのですが、恐らくこういった類の疑問に対する答えって、ないんだと思います。
そもそも、フリーのGOEがこれまでより高いと何故不自然なのか、リアルな採点に自然・不自然なんて概念あるのか。フリーの演技構成点が上がったら何故悪いのか、何点だと異状なのか。何故10点を付けたら悪いのか。
結局、この方が不自然だ、異状だ、暴挙だと思ったからそうなんですよね。で、その根拠は、キム・ヨナ選手や韓国スタッフのジャッジへの不正があったとの疑惑と、この人の彼女の演技への印象に基づいているように私には見えます。
私は、キム・ヨナ選手は、自分の出来ることをやったんだと思います。自分の得て不得手をよく知っていた。だからこそ自分の得意な部分を延ばし、そこで勝負した。
で、常に勝とうとしました。競技人として当たり前です。
そのために、自分の持っているものに磨きをかけた。それは裏返しとして、無理をしなかったということ。あまりプログラム構成、エレメンツの構成内容は変えなかった。
勿論それは勝つためであったと思いますが、いつもの技がより磨かれることで、技への負担が減り、演技の完成度が上がりますし、気持ちに余裕が出来ます。それは表現することへの気持ちを集中させることにつながります。
それは見ている私たちにも安心感を与えます。
そしてそれは結果として、選手として、自分の能力への責任、競技者として勝負することへの責任、フィギュアスケートというスポーツへの責任、私たち聴衆に最高のものを見せる責任、につながることだと思いました。
やはり私は、完成度の高いものを見たい、そう思います。
彼、彼女たちはその道のプロフェッショナルなんですからね。
でもこういったことは、音楽では当たり前なんです。
どんなに超絶技巧の曲を速く弾いても、ミスタッチばかりでは、評価されないどころか、評価の対象にもなりません。だって、ただ速く弾ける人は素人でもいますが、問題はその出来、完成度なんですから。プロとアマではそこが違う。
と言いますか、その曲を自ら選んでいるからには、譜面面弾けて当然なんです。肝心要はその先にあります。
スポーツと芸術では違うでしょうが、でもフィギュアスケートのような採点競技は、出来ればいいってもんじゃない。100m走じゃないんですからね。
キム・ヨナ選手の演技を改めて感心する中で感じた、フィギュアスケートに対する思いを、私のような拙い文でお伝えするより、実はもっと前に書いてくださっているサイトがあり、前にもご紹介したブログですが、その一部をお借りして終わりたいと思います。
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